
人口200万人以上のウズベキスタンの首都。町中にまっすぐ延びる道路、大きなビルが連なり、中央アジアで唯一の地下鉄も走る
近代都市で「中央アジアの首都」とも呼ばれています。現代の町並みはシルクロードの印象からかけ離れていますが、そのオアシス都市としての歴史は長く、2000年前には「チャチ」という名で記録が残されています。11世紀頃からタシケント(石の町)という名で呼ばれるようになり、シルクロードの中心地として最も栄えたのもこの頃です。

◆ナボイ劇場
第二次世界大戦時に抑留された日本人などの捕虜に、強制労働で造らせた建物のひとつです。

◆バザール
昔ながらのにぎわいがあるバザール。
アムダリヤ川下流のオアシスの町で、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄しました。ヒワから北東に約30kmにあるウルゲンチが1219年チンギスハンに滅ぼされたのち、ホラズム地方の中心として栄えました。また、アルジャブルが代数学で表彰されたのは9世紀にさかのぼります。ヒワが遊牧民族やイランよりの侵略から解放されるのは19世紀初めになってからで、それらの外敵の進入を防ぐために、外・内壁と二重の城壁で町を守りました。内側の城壁に囲まれた内城イチャン・カラには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されており、1969年には全体が「博物館都市」に指定されて世界遺産に登録されました。


◆コフナ・アルク
17世紀に建てられた「古い宮殿」という意味の王の館。タシュハウリ宮殿(新宮殿)ができてから区別するためにこう呼ばれるようになりました。ハーレム、武器庫、造幣所、謁見室などがあります。

◆タシュハウリ宮殿
コフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿。ヒワのなかでも最も豪華なタイルや装飾インテリアで飾られています。

◆イスラーム・ホジャ
1910年にヒワ最後の王の大臣によって建てられました。メドレセとミナレットには登ることができます。
◆金曜モスク
212本もの柱で支えられている、多柱式建築のモスク。
◆パフラヴァーン・マフムード廟
ヒワの大臣で、詩人で、哲学者でもあったパフラヴァーン・マフムードの廟。伝説の泉は今も中庭に湧き出していて、この水を飲むと男は強くなり、女は美しくなるといわれています。
全体的に薄茶色のイメージですが、シルクロードの面影が色濃く残っています。かつてシルクロードの交通の要所として栄えたブハラは9世紀にサマニ候国の首都となって以来、イスラム教の中心的役割を果たしてきました。中世の宗教学者イブンシーナが法典をこの地で著したことでも有名です。ブハラとはサンスクリット語で「僧院」を意味しますが、その名のとおり中央アジアからイスラム信者が集まり、かつては360のモスク、80のメドレセがありました。また38のキャラバンサライ、6つの交易所、16の公衆浴場、45のバザールもあったことから、この町がいかに商業的に重要なシルクロードの拠点であったかがわかります。

◆イスマイール・サーマニー廟
中央アジアに現存する最古のイスラム建築で、立方体のユニークな形をしています。

◆アルク
歴代のブハラ・ハーン(王)の居城で、王座の間、ハーンの居室、大臣の勤務室などがあります。

◆カラーン・ミナール
カラーンとはタジク語で大きいという意味で、ミナールは光塔と訳されます。その名の通り高さ約46m、ブハラで一番高く、町のどこからでも見えるブハラのシンボル。

◆ラビ・ハウズ
ハウズとは池のことで、ブハラ市民の憩いの場です。
ティムールの故郷として、かつてはサマルカンドよりも栄えた町。さらに南にいくとテルメズ、インドへと抜けられるためアレキサンダー大王などが通った重要なシルクロードの要所の1つでした。「緑の町」とも言われています。
◆アク・サライ
1379年にティムールが建てた最大の建造物ですが、現存するのは約40mの高さの城門だけです。アク・サライとは白い宮殿という意味で、実際は青と金色のタイルで装飾された宮殿でした。
◆ジャハーンギール廟
ティムールが長男のために1376年に建てた廟。
◆コク・グムバズ・モスク
サマルカンド・ブルーの丸屋根が並ぶモスク。
「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」など様々な異名を持つサマルカンドは、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできました。その存在がはじめて世界に知らされたのは紀元前4世紀、アレキサンダー大王の遠征軍が到着したときのことです。大王に「話に聞いていたとおりに美しい、いやそれ以上に美しい」と言わしめたほど、サマルカンドの前身「マラカンダ」の町は発展を見せていました。その繁栄の担い手は商才と工芸技術に長けたソグド人で様々な王朝の支配を受けながらも、数世紀にわたって営々とサマルカンドを築き上げてきました。また、ティムールの登場により、再び富と栄華を誇りました。この地では、オマルカヤム、バブール、ナボイなどの有名な学者、作家、思想家を輩出しましたが、特にティムールの孫ウルグ・ベグは芸術の発展に多大な力を発揮しただけでなく、自らも天文学者として世界古典化学者の十指に数えられています。

◆レギスタン広場
レギスタンとは砂地の意味で、チンギス・ハーンの来襲以後、アフロシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心地となりました。サマルカンド・ブルーと言われる丸屋根を持つ壮大なメドレセ群が並んで印す。

◆シャーヒ・ジンダ廟
ウズベキスタン各地からの巡礼者が絶えない廟。ティムール王朝に関わった人々が眠っています。お墓の意匠にそれぞれ特徴があり、見る者を飽きさせません。

◆グーリ・アミール廟
タジク語で支配者の墓という意味で、国の英雄アミール・ティムールとその孫ウルグ・ベクが眠っている霊廟。青の都と呼ばれるサマルカンドでも、ひときわその青さがひきたっている壮大な建物です。

◆ウルグ・ベク天文台
長い間、ウルグベクがどこで観測をしていたのか謎とされていましたが、1908年に土に埋もれた天文台の跡が発掘されました。現在は円い天文台の基礎と六分儀の地下部分のみが残っています。

◆ビビ・ハマム・モスク
中央アジア最大のモスク。

◆アフラースィヤーブ
現在は見渡す限り茫漠たる丘が続いているが、モンゴルによって破壊される以前の何世紀もの間、サマルカンドの町はこの丘の上に築かれていました。