


世界遺産(複合遺産・1983年)。”空中都市”とマチュピチュが呼ばれる所以は、この遺跡が標高2,280mの断崖絶壁の頂にあり、麓のウルバンバ川流域は熱帯雨林のジャングル、下からはその姿は見えず、空中からしかその存在を確認出来ないからです。
15~16世紀にアンデス一帯を支配したインカ帝国。1533年スペインのコンキスタドール、ピサロが率いる僅か180人の征服者達にもろくも滅ぼされてしまいました。そして、インカの人々はスペインの支配から逃れるために秘密基地”ビルカバンバ”を建設しました。インカの財宝が眠るこの黄金郷は伝説となり、19世紀後半にはその発見に挑戦する人たちが現れ、ハイラム・ビンガムもその一人でした。1911年、彼はマチュピチュ(ケチュア語で老いた峰)とワイナピチュ(若い峰)が結ばれる尾根の上に築かれた遺跡を発見し、”マチュピチュ”と名づけました。調査を進めていくうちに、マチュピチュはビルカバンバではなく、ビルカバンバは更に奥地にあることが明らかになりました。しかしながら、マチュピチュの発見は、スペイン人が多くのインカ遺跡を破壊していたことからの「20世紀最大の考古学的業績」と評価されています。では、一体マチュピチュはどのような目的で築かれたのでしょうか? 残念ながらインカ帝国には文字がなかったため、未だ答えは見つかっていません。神々を祀る宗教都市、居住区、城塞、アマゾン方面へ進出の基地であったなど諸説が唱えられています。
マチュピチュ遺跡は見渡す限りの”アンデネス(段々畑)”などの農耕区域と、美しい曲線を描く石組み”太陽の神殿“、”日時計”“インティワタナ”など居住区に分かれています。ワイナピチュに登れば、マチュピチュ遺跡はもちろんアンデスの山々も見渡せます。
マチュピチュへは、クスコから車と列車を利用してアグアスカリエンテスまで行き、ミニバスに乗り換えジグザグ道のハイラム・ビンガムロードを登り、遺跡の入口まで行きます。復路のハイラム・ビンガムロードを降りる時は、有名なグッバイ・ボーイに遭遇できるチャンスもあります。また、インカ時代の道=インカ・ロードを徒歩でマチュピチュまで行くこともできます。



世界遺産(文化遺産・1994年)。ペルー中南部、ナスカとイカの中間地点に広がる面積450平方kmのフマーナ平原に、大きさ10~300mの動物、植物、幾何学模様など200以上に及ぶ模様があります。特に、一筆書きで描かれているハチドリ、コンドル、クモ、サル、イヌ、手、木、宇宙人は有名です。地上絵が描かれた目的はまだ正確に解明されていませんが、天体観測のカレンダー説と豊作を願う宗教的儀式に使ったという説が主流です。紀元後1~7世紀、ナスカ人達はこの地上絵を描くために、まず、描きたい絵の小さな模型を作り、そのデザインを等しく拡大していくという数学的発想に基づいてこの大作業を行いました。2000年たった今でも地上絵が見られるのは、(1)ナスカ地方は乾燥地帯であったこと、(2)独特なラインの描き方(幅約20cmのラインは地表の茶褐色の小石を10cmほど削り取り、その下の白っぽい石灰質の土を露出させる)によります。しかし、1937年に建設された「パン・アメリカン・ハイウェイ」は地上絵を切り裂くように建設され、加えて、1940年頃から、多くの観光客が訪れるようになると地上絵は踏み荒らされたり、車で乗り上げられたりと甚大な被害を被りました。そんな中、ドイツのマリア・ライヘ博士は、研究・調査より先に、地上絵の保護の重要性を訴え、私財を投じて観察櫓ミラドールを建設しました。博士の活動は認められ、この地は1977年保護区に指定され、許可なくして地上絵のある地帯に立ち入ることは禁じられました。
ナスカの地上絵は、イカやナスカから小型機で上空から遊覧飛行する方法と砂漠に立つミラドールから見学する方法があります。


世界遺産(文化遺産 ・1983年)。インカ帝国の首都クスコ。インカの精緻な石造建築は、「カミソリの刃一枚すら通さない」という評判で知られています。1650年、1950年、1986年の大地震は、スペイン人が建てた建造物には大きなダメージを与えましたが、インカの石組みはびくともしませんでした。この石造文明の極致であるインカ文明(13~16世紀)は太陽の化身である王(インカ)を頂点とするピラミッド型の社会でした。中でも太陽の神殿「コリカンチャ(現在のサント・ドミンゴ教会)」の石壁には幅約21cm以上の金の帯がはめ込まれていて、祭壇の上の偶像も厚い黄金で出来ていたといわれています。しかしそんな繁栄を築いていた文明も、1533年にスペインのコンキスタドール、ピサロが率いるたった180人征服者たちにもろくも滅ぼされてしまいました。

汽船の航行する世界で最も標高の高い湖「チチカカ湖」。標高3812mで富士山よりも高い位置にあり、琵琶湖の約12倍の広さになります。プーノ付近には湖畔に自生するトトラという葦を積み重ねて造った総じてウロス島と呼ばれる「浮き島」が50ほどあります。トトラが腐ればまた新しいトトラをその上に重ねていき、そうこうするうちに大きな島が出来上がっていくのです。ここにはウロ族が住み、トトラ製であるバルサ(葦の舟)が彼らの唯一の足で、男性がこのバルサを使って漁業をし、女性は民芸品などを売って生活しています。