エジプト

 

基本情報

エジプト
正式国名
エジプトアラブ共和国  Arab Republic of Egypt
面積
1,001,450k㎡(日本の約3倍)
首都
カイロ  Cairo(アラビア語でイル・カーヘラ)
民族構成
アラブ人、少数のヌビア人。
言語
アラビア語。カイロ方言が一般的だが、上エジプト、シナイ半島では発音が異なる。
観光地、観光業従事者には英語が広く通じる。
通貨
通貨単位はポンド£E(アラビア語でギニー)で補助単位がピアストルpt.(アラビア語でエルシュまたはサア)。
1£E=100pt.=約15円(2010年9月27日現在)。
紙幣は、200£E、100£E、50£E、20£E、10£E、5£E、1£E、50pt.、25pt.、硬貨は1£E、50pt.、25pt.、(10pt.)、(5pt.)。※( )付きの硬貨は流通量が少なく、ほとんど見かけない。
時差
GMT+3時間。日本より7時間遅れ。
サマータイム時(4月の最終金曜日から9月の最終木曜日)は日本より6時間遅れ。
宗教
イスラム教スンナ派90%、コプト・キリスト教7%。
祝祭日
エジプトの祝祭日は、西暦で祝う固定祝祭日と、イスラム暦で祝う移動祝祭日(※印)がある。
観光地ではあまり影響はないが、それ以外のところでは、何もかも休業するので注意が必要。特にラマダン(断食月)明けのイードル・フィトルや犠牲祭は最低3日間の祝日が続く。

1月7日 ※コプト教クリスマス
2月15日 ※マウリド・アンナビー(預言者ムハンマド生誕祭)
4月25日 シナイ解放記念日
4月25日 ※シャンム・イン・ナスィーム(春香祭)
5月1日 メーデー
7月23日 革命記念日
8月30~9月1日 ※イードル・フィトル(断食月明けのお祭り)
10月6日 軍隊記念日
11月6~9日 ※犠牲祭
11月26日 ※イスラム暦の新年
12月23日 戦勝記念日
※の付くのは移動祝祭日。2011年の日付で記載

おすすめ観光情報

カイロ/Cairo

エジプト・アラブ共和国の首都でアフリカ最大規模の都市。全人口の約26%が生活するカイロは、地中海の香りと東洋の魅力をミックスしたエキゾチックな雰囲気を持つ。古代エジプト時代、ギリシャ・ローマ時代、キリスト教やイスラム教の歴史的建造物が共存する喧騒の大カイロ。慢性的な渋滞がほぼ一日中あるので、観光には時間に余裕を持って計画したい。

エジプト考古学博物館

◆エジプト考古学博物館/Egyptian Museum
世界最大のエジプトの遺物を展示する博物館で、カイロの中心タハリール広場に面している。過去5000年にわたる古代エジプトの歴史的遺物をおよそ250,000品収蔵しています。
この博物館の展示品は何れも歴史的、芸術的価値が高く有名ですが、最も注目を集めているのがツタンカーメンの秘宝です。有名なツタンカーメンの黄金のマスク、純金製の棺などが展示されています。未完のネフェルティティ王妃の頭部、やギザの三大ピラミットの一つ第二ピラミッドを建てたカフラー王の岩製座像なども見逃せません。ミイラのみを集めたミイラ室(別料金)もあり、歴代の王や王妃のミイラが納められています。カメラの持ち込みは禁止されている為、入館前に博物館ゲート横のクロークで預けます。

シタデル、モハメド・アリ・モスク/Citadel, Gaami Muhammad Ali

◆シタデル、モハメド・アリ・モスク/Citadel, Gaami Muhammad Ali
モカッタムの丘にあるこのシタデルからは、カイロ市内を一望のもとに見渡すことができるばかりでなく、ギザのピラミッドも見ることができます。アイユーブ朝の創始者サラーハ・アル・ディーンが1183年、初めてこの地に築いた城塞で、壁内にはアラバスターモスク(モハメド・アリ・モスク)やソリマン・パシャ・モスク、 岩を90m掘って造られた2階建てのヨセフの井戸、軍事博物館など、興味深い建物が数多くあります。
城塞の北側頂上にある壮麗なモスクがモハメド・アリ・モスクです。内部及び外壁にアラバスター(雪花石膏)を使用していることから別名アラバスター・モスクとも呼ばれています。シタデル内にあるこのモスクは傑出しているので決して迷うことはありません。

ハーン・ハリーリ/Khaan il-Khaliili

◆ハーン・ハリーリ/Khaan il-Khaliili
ハーン・ハリーリの歴史は古く、14世紀末には市ができたと言われています。19世紀始めには12の大バザールがひとつになり非常に大きなバザールだったが、現在はガーマ・ホセイン西側一帯のみとなっている。
細い道の両端にお土産物屋さんがびっしり立ち並び、かたことの日本語で話しかけてくる客寄せも多い。ほとんど定価は無いようなもので、料金交渉して購入する場合が多い。金銀銅などの金属細工や食器、宝石、香水、革細工、布や工芸品などお土産の種類は多種多様。四方八方からかかる客寄せの声をかわしながら、混沌としたバザールをぶらぶら散策するのも楽しい。

ギザ/Giza
ギザ/Giza

世界遺産、1979年登録。文化遺産。世界で一番有名な建造物ともいえる、ギザの3大ピラミッド。左からメンカウラー(高さ約66.5m)、カフラー(高さ約136.5m)、クフのピラミッド(高さ約137m)と呼ばれている。カフラー王のピラミッドの前には人面獣身で有名な大スフィンクス(全長57m、高さ20m)が横たわり、3大ピラミッドを守るかのように静かに虚空を見つめている。
一番大きなクフ王のピラミッドは今から4500年前に建造された真正ピラミッドで、四角錐の四辺はほぼ正確に東西南北を向いている。一辺の長さ約230m。平均2.5tの石灰岩約300万個からなり、建設には30年の歳月と膨大な労働力が費やされた。建設当時は白い石灰岩で表面を覆われ白く輝いていたが、現在その部分は剥がれ、土台の石がむき出しになっている。ピラミッド内部は入り口から狭い上昇通路を上り、大回廊と呼ばれ「控えの間」を経て「王の間」と呼ばれる玄室に辿り着く。しかし、そこには空の石棺があるだけで、ピラミッドの中には目を見張る遺宝はおろか、装飾すらない。記録を見る限り、クフ王の違宝を求めて、初めてここに足を踏み入れたのは、9世紀初頭のアッバース朝のカリフ(太守)、アル・マームーンであった。彼は北面の壁に穴を穿ち、内部を探索したが、発見されたのは玄室の石棺だけで、宝物はどこにもなかった。
人々を惑わせるのは、幻の財宝だけではない。大型建築機材のない時代、巨大な石材をどのように正四角錐に積み上げたのか。クフ王をはじめとする王のミイラが、どのピラミッドからも発見されていないのは、なぜか。果たしてピラミッドは王墓だったのかさえ、未だ解明されてはいない。
夜にはピラミッドやスフィンクスに照明を当てて、古代エジプトの歴史を語る音と光のショーがある。

メンフィス/Memphis
メンフィス/Memphis

古代エジプト古王国時代には首都として栄えた。歴史的には重要な役割を果たしてきたが、戦争や侵略、ナイル川の洪水が町を壊滅状態にし、跡形もなくしてしまった。アラバスター(雪花石膏)製のスフィンクスや体長15mのラムセス2世の巨像が有名。ラムセス2世の巨像は現在メンフィス博物館の1階に横たわっている。

サッカラ/Saqqara
サッカラ/Saqqara

ギザの南約10km。エジプトでのピラミッド建設の第一歩をしるしたといわれるジョセル王の階段ピラミッドが有名。6重の階段状になったこのピラミッドは高さ約60m、基底部140m×128mと、ギザのピラミッドよりは小ぶりだが、その形状は独特です。階段ピラミッド西側の小高い丘からは、北にギザ、アブー・セールのピラミッド、南にはダハシュールのピラミッドなどが眺められ、絶好のポイントになっている。サッカラ遺跡は非常に広大で、階段ピラミッドを中心とするピラミッドコンプレックスや、周辺にもさまざまなピラミッドや墓、葬祭殿が発掘されている。

ダハシュール/Dahshur
ダハシュール/Dahshur

ダハシュールには2つのピラミッドがあり、両基ともクフ王の父にあたるスネフェル王のものとされる。高さ105mの屈折ピラミッドは真ん中あたりで角度が変わっている。理由には諸説あり、メイドゥームの真正ピラミッドが崩れて失敗したためとか、王の死が近いので建設を急いだためとか、諸説あるが、本当の理由はわかっていない。

ルクソール/Luxor

カイロの南約670kmの、ナイル川沿いにある古都テーベ(現ルクソール市と近郊)は、紀元前1570年頃から約150年間続いた、新王国時代の都。ナイル川によって東西に分かれ、生者の世界とされた東岸にはカルナック神殿やルクソール神殿などの神殿群、死者の世界とされた西岸には王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿などの墓地遺跡群がある。有名なツタンカーメン王墓の遺跡は西岸の王家の谷の一角にある。この発見で、王墓の謎と実体が解き明かされた。

カルナック神殿/Temple of Karnak

◆カルナック神殿/Temple of Karnak
古都テーベのナイル川東岸地域は、日出ずる都。西岸の墓地遺跡群(ネクロポリス)とは異なり、ここは生者の街で、歴代の王によって、数多くの神殿が建てられた。都の北に位置するカルナック地区は、新王国時代(紀元前1570年頃~1070年頃)以前から「選ばれた最良の地」と呼ばれた聖地。ここに建ち並ぶ神殿群を総称してカルナック神殿という。当時の神殿は神の住まいであり、祭祀を司る王の家。同時に、医学や天文学、文学などを教える学校の役割も果たした。
その中核をなすアメン大神殿は、テーベの守り神アメンに捧げられている。アメン神は、エジプトの地方神のひとつだったが、後に太陽神ラーと結び付き、王の守護神となる。軍事遠征が活発化した新王国時代には、神の中の神として崇められた。
太陽神を象徴したオベリスクはハトシェプスト女王とその父トトメス1世が建てたものであるが、後に建てられたハトシェプスト女王のオベリスクは父のものより8m高い。また、134本もの石柱で囲まれた大列柱室は、新王国時代絶大な権力を誇ったラムセス2世により建てられた。歴代の王により大規模な石造やオベリスク、列柱を寄進され、巨大な複合神殿となったカルナック神殿。ゆっくり見学すると半日は必要だ。
夜には音と光のショーがあり、昼間と違う幻想的な神殿の様子を楽しめる。

ルクソール神殿/Luxor Temple

◆ルクソール神殿/Luxor Temple
ナイル河畔に建つルクソール神殿は、カルナック神殿に付属する副神殿。本神殿の南西約3kmにあって、かつて本神殿とはスフィンクス参道でつながっていた。現在、ルクソール神殿の第一塔門前には人頭のスフィンクス参道が残る。
第一塔門前のオベリスクは、ラムセス2世の建造によるもので、高さが25mもある。もとは両側に2本あったが、1本は19世紀中頃にフランスに寄贈され、現在はパリのコンコルド広場に建っている。
この神殿は、新王国の勢いが頂点に達した紀元前1400年頃の王、アメンホテプ3世と、彼から約110年後に即位したラムセス2世によって建立されている。副神殿ながら、規模は本神殿に勝るとも劣らない。
ルクソール神殿はイスラム教、キリスト教の支配を受けた過去があり、神殿中ほどを壊して建てられたイスラム寺院(現在も使われている)や神殿最奥部にはキリスト教画が壁面に描かれている。
スフィンクス参道を復元する為、現在参道の発掘を行っているが、一部がルクソール市街地を通っている為、住民の移住が必要となり、作業は困難となっている。

メムノンの巨像/Clossi of Memnon

◆メムノンの巨像/Clossi of Memnon
新王国時代絶頂期の王アメンホテプ3世のもの。もともと座像の後ろには彼の葬祭殿があったが、後の王たちが石材として使用し、完全に破壊された。プトレマイオス朝には、ギリシア神殿のメムノンのものとされ、現在の名が付いた。ローマ時代に起きた地震によりヒビが入り、激しい温度差による軋み、または風によって「像が歌う」といわれ、不思議がられていたが、その後の補修により今では静かになった。

王家の谷/Valley of the Kings

◆王家の谷/Valley of the Kings
ナイル川西岸に、王たちが墓を造るようになったのは紀元前1520年頃のこと。西アジア遠征で領土を広げ、王国の繁栄を築いたトトメス1世の時代からである。「王家の谷」と名づけたのは、ヒエログリフ(神聖文字)の解読者、フランス人のシャンポリオン。王家の谷は、荒涼とした岩山に囲まれた砂漠の谷間にある。トトメス1世以降の王たちは、人里離れた険しい岩場に深く穴を掘り、そこに自らの墓を築いた。ツタンカーメン王墓の玄室に書かれた「冥界の書」と発見されたミイラから推測すると、王家の谷は確かに王の墓だといえる。また、出土した王の衣服や家具、装飾品や食料は、死後の再生を信じ、死後も現世と同じ生活ができるようにと整えた旅立ちの準備だった。この谷近くには墓造りの職人が集められ、集落ができ、兵士が墓守をして周辺を見張った。そのため、新王国時代末期まで、王墓群は盗掘者から守られた。しかし、王たちの努力もむなしく、やがて墓は盗掘者に荒らされるようになる。エジプトで発掘ブームが起こった19世紀には、すでにほとんどの財宝が略奪されていた。ツタンカーメン王墓が荒らされなかったのは、ツタンカーメン王墓のすぐ上に別の大きな王墓があり、運よく見過ごされたため。ツタンカーメン王墓はその治世が短かったためか、王家の谷ではその規模が小さいが、内部から発見された手付かずの財宝は莫大なものであった。谷にあるその他の大きな王墓が盗掘されていなければ、想像もつかない程の財宝があったのではないかといわれている。
近くには王妃たちが眠る「王妃の谷」や「貴族の墓」、王墓建設労働者の町の跡「デール・イル・マディーナ」などもある。
王家の谷はカメラの持込が禁止で、預けるところも無いので注意が必要。

ハトシェプスト女王葬祭殿/Deir el Bahri

◆ハトシェプスト女王葬祭殿/Deir el Bahri
ハトシェプスト女王葬祭殿は、王家の谷の東、切り立った断崖の下に建つ。葬祭殿は女王が自らの権力を示すため、在位中に築いたもの。壮大なスケールは、ハトシェプスト女王の威勢を余すところなく伝えている。
この葬祭殿は紀元前1500年頃に建てられた。内政が安定し、領土拡大も進んだ、古代エジプト王朝でもっとも繁栄した時代である。ハトシェプストは、王家の谷に初めて墓を築いたトトメス1世の娘であり、ときの王トトメス2世の王妃であった。
彼女は、夫の死後に即位した側室の子トトメス3世の摂政となり、王朝の権力を独占する。やがて、幼少の王を押しのけ自らファラオを名乗り、以後、約20年間にわたり王権を握る。王位への執着ぶりは、公式の場ではあごひげを付け、腰布をまとって男装を通すほどだった。
彼女の死後、ようやく王位に就いたトトメス3世は、積年の恨みから、葬祭殿のテラスにあった男装の女王の26の立像を破壊し、内部の壁や柱を飾る彼女の浮き彫りや名前を全て削り取り、その存在を抹殺してしまった。入念に削り取られたその後は、王権をめぐる争いの凄まじさを物語っている。

ホルス神殿(エドフ)/Temple of Horus
ホルス神殿(エドフ)/Temple of Horus

エドフ西岸にあるホルス神殿は、エジプトの数ある遺跡の中でも、最も保存状態がよい。エジプト神話ではホルス神とセト神の闘いのひとつが行われた場所といわれ、高さ36mという巨大な塔門は、東岸を走る列車からも眺められる。神殿はエジプト神殿の古典的構造。プトレマイオス12世がホルス神の前で敵を討伐するところを描いた塔門をくぐり、パピルスなどをモチーフにした柱に囲まれた大きな中庭を通り、高い柱が並ぶ第一列柱室へ。第一列柱室の天井は後にこの神殿に住んだキリスト教徒が台所として使った為、黒くすすけてしまっているが、レリーフが面白い。第二列柱室などけた奥の至聖所の祭壇前には黒い花崗岩の一枚岩で造られた厨子と、レバノン杉で造られた聖船が残っている。

コムオンボ神殿/Kom Ombo Temple
コムオンボ神殿/Kom Ombo Temple

アスワンから北へナイルを46km下った東岸にあるコムオンボの町。コムオンボ神殿は町から4kmほど離れた丘の上に建っている。古代エジプト時代の旧神殿の上にプトレマイオス朝によって建設された神殿で、完成したのはローマ時代になってから。神殿内は2分割され左右非対称なのが特徴。ホルス神とソベク神(ワニの神)、2つの神のために建てられたものだからといわれている。コムオンボには珍しいレリーフが二つあり、ひとつは神殿の祭礼暦についての韻文、もうひとつは医学の神イムホテプと彼の手術用具のレリーフ。出産の様子のレリーフなどもあり、大変興味深い。

ホルス神殿(エドフ)/Temple of Horus
ハトホル神殿(デンデラ)/Temple of Hathor

ルクソールから北へ約60kmに位置するハトホル神殿は、エジプトがローマの支配となる前の、古代エジプト最後の偉大な宗教的建造物。プトレマイオス朝末期に建てられたものと、ローマ支配時代に建造された部分が残る。もともとはイシス神殿、ホルス神殿、ハトホル神殿があったが、ほとんど破壊され、現在見ることができるのはハトホル神殿のみ。ハトホル女神を奉った神殿は古代神殿の中でも元も保存状態がよいもののひとつで、ほぼ完璧な状態で残っている。ハトホル神は愛と母性の女神。また、喜びと音楽の女神ともいわれ、シストルムという楽器がシンボルである。神殿の後部外壁には世界3大美女と謳われるクレオパトラ7世を描いたエジプトで唯一のレリーフがある。

アビドス遺跡/Abydos
アビドス遺跡/Abydos

アビドスはオシリス神話の中心地で最も神聖とされた町。オシリスは再生の神で、古代エジプトでは王は死ぬと神になると信じられたため、かつての人々はこの聖なる都に巡礼し、建造物を寄進したり空墓(実際には埋葬されなかった形だけの墓)を造った。見ごたえがあるのは、古代エジプト新王国時代第19王朝の神殿跡、セティ1世の葬祭殿。第19王朝セティ1世(紀元前1318年~1304年)の在位中には完成しなかったため、息子ラムセス2世(紀元前1304年~1237年)が完成させたといわれている。この葬祭殿はエジプト神殿の中で最も美しいもののひとつとされている。今も色鮮やかなレリーフは、アマルナ時代に伝統的な美術が途絶えたあとに、新たに生まれた美術が到達したひとつの頂点だといえる。。

アスワン/Aswan

ルクソールから南に200km。ナイル川の東岸に位置する町。かつてアスワンからアブシンベルを含めた南部の地域はヌーバ族という黒人が支配していた。今でもアスワンに暮らす人々にはヌビア人といわれる色の黒い人が多く、この地方はヌビア地方と呼ばれている。ゆったり流れるナイル川に面した静かな町アスワンは、リゾート地のような雰囲気がある。

切りかけのオベリスク/Unfinished Obelisk

◆切りかけのオベリスク/Unfinished Obelisk
アスワン中心部から1kmほど離れたところに古代の石切り場がある。ここにある切りかけのオベリスクは、古代の石切技術がわかって興味深い。まず石に切り込みをつけてそこに木のくさびを打ち込み、次にくさびを水で濡らす。水を吸って膨張したくさびによって自然に石を割る。切り口はほとんど凹凸がなく滑らかに切れる。切りかけのオベリスクは長さ42m、重さはなんと1168トンとされる。完成していれば、エジプト最大のオベリスクになっただろう。

イシス(フィラエ)神殿

◆イシス(フィラエ)神殿/Ma bad il-Fiila
かつてイシス神殿が建っていたフィラエ島は、ナイル川に浮かぶ小島。険しい岩肌を見せる周囲の島に対し、緑豊かなこの島「ナイルの真珠」と呼ばれていた。この神殿はマケドニアのアレクサンドロス大王の征服の結果、異民族によって最初に開かれたプトレマイオス朝時代の紀元前4~前3世紀に建てられた。塔門や列柱室の壁面には、神々の姿を描いた浮き彫りが残る。古代エジプトの神オシリスの妹にして妻である女神イシスに捧げられた神殿である。
オシリスは弟に殺され、刻まれた体をエジプト中に撒かれた。イシスはそれを探して縫い合わせ、包帯で巻き、冥界の神として復活させた。この話はミイラのルーツに関する神話であり、イシスは人々に篤く信仰された。
しかし、1902年にアスワン・ダムが完成すると、1年の大半、神殿は水に沈んでしまうことになった。1960年から始まったアスワン・ハイ・ダムの建設で更に水没の危機にさらされたが、1972年から約2年半をかけ、地勢の似た近くのアルギルキア島(現フィラエ島)に移築されて、水中から蘇った。こうしてイシス神殿はナイル川に輝きを取り戻した。

ファルーカ(帆船)/Felucca

◆ファルーカ(帆船)/Felucca
ナイル川をファルーカ(帆船)で遊覧するのは、アスワン滞在中のナイル川アクティビティーの目玉です。ファルーカは風の力だけで動くので、とっても静か。暑いアスワン地方の忙しい観光の合間、ナイル川を渡る爽やかな風に吹かれながら、人が行き交う賑やかな東岸の町並みや人を寄せ付けない西岸砂漠地帯を眺めていると、まるで気分はクレオパトラ!?
日に焼けた船頭が見せるくったくのない笑顔と共に、束の間のゆったりとしたリゾート気分が味わえます。

アスワン・ハイ・ダム

◆アスワン・ハイ・ダム/Aswan High Dam
「エジプトはナイルの賜物」と謳われたように、エジプトはナイル川と共に暮らしてきました。国土の大部分が砂漠地帯であるエジプトにとって、ナイル川は農耕を行う上で重要な水源。しかし、ナイル川は毎年氾濫を起こし、その度に下流域の都市は多くの水害に見舞われていました。そのナイル川の氾濫を抑える為に作られたのがアスワン・ハイダムです。ハイダムより前に作られた旧ダムもありますが、これではナイルの氾濫は抑えられなかった為、約50年前にハイダムが新たに造られました。50年分のナイル川氾濫分の水量を蓄えている為、もしハイダムが決壊すると、約7分でアレキサンドリアまで水没すると言われています。国の生存に関わる重要な施設である為、現在はエジプト国軍により守られています。

アブシンベル/Abu Simbel

エジプト最南部・ヌビア地方は、アブシンベルから約280km下流のアスワンにいたるナイル上流一帯をさす。この地方にある遺跡群は1960年代、アスワン・ハイ・ダムの建設によって、水没の危機にさらされた。しかし、遺跡救済を呼びかけたユネスコにより、1963年から大規模な移築工事が行われ、数多くの遺跡が現在の地に移された。
アスワンから空路45分、または陸路約4時間の場所にあるアブシンベルには、ユネスコの救済により移築が行われた神殿の中で最も有名な、アブシンベル神殿がある。

アブシンベル大神殿、小神殿

◆アブシンベル大神殿、小神殿/Abu Simbel Great Temple, Small Temple
3000年以上の歳月の中で、一時は砂に埋没し、一時は水に沈みかけたアブシンベル大神殿。数奇な運命をたどったこの遺産は、新王国時代に築かれた。
この神殿が蘇ったのは1817年8月のことだった。それより4年前に砂に埋もれた神殿の一部が発見されたことに刺激され、秘宝あさりをしていたイタリア人、ジョヴァンニ・ベルツォーニがこの地を訪れた。そして、砂丘にトンネルを掘り、みごとに大神殿に入ることに成功したのだ。ところが、金銀財宝がねらいだった彼には、意味不明の碑文、美しい浮き彫りと石像、高さ21mもある巨大な座像のすべてが、ガラクタに見えた。それらが考古学史に残る貴重なラムセス2世の神殿とわかったのは後のことだった。
その遺跡の名はアブシンベル大神殿。神殿にあるヌビアは、金や象牙などの資源に恵まれた土地だった。そこで巨万の富を手に入れた王は、巨大神殿を築き、人々を支配した。しかし王の死後、大神殿は次第に人々に忘れられ、時間の経過とともに、周辺の岩山の風化も進み、やがて褐色の砂塵に飲み込まれていったのである。それから約3000年後、ベルツォーニによって、神殿は地上に再びその姿を現した。ところが、更に約150年後の1960年代、神殿はまたも、危機を迎えることになる。アスワン・ハイ・ダム建設計画で、神殿はナイル川に水没することに決まったのである。しかし、遺跡の価値に注目したユネスコが救済活動を起こし、現在地に移転した。
ラムセス2世は7人の王妃と多数の側室をもち、92人の王子と106人の王女をもうけた。この偉大なる王は、大神殿に大胆な演出を仕組んだ。舞台は大神殿のもっとも奥にある窓のない漆黒の至聖所。壁には左から万物の創造主プタハ神、王の守護神アメン・ラー、神格化されたラムセス2世、太陽神ラー・ホルアクティの座像が並ぶ。春分と秋分の年2日、大神殿の東の入り口から至聖所に朝日が差し込むとき、朝日は60m先の“神々の座”を目指し一直線に突き進む。闇を貫く陽光は至聖所を横切り、壁面の神々を浮かび上がらせる。この瞬間、偉大なる王は、神々とともに永遠の力を得る。
移築の際も、このような仕組みが損なわれないように細心の注意が払われ、その努力は見事報われた。
大神殿の北にはラムセス2世が最愛の王妃ネフェルタリのために築いたハトホル神殿(アブシンベル小神殿)がある。

西方(リビア)砂漠/Western (Libyan) Desert

北アフリカ、エジプトのナイル川から西、リビア東部にまで及ぶ砂漠。エジプトでは西部砂漠と呼ばれるが、正式名称はリビア砂漠。標高150~300m、面積約170万平方キロメートル。流砂による砂丘地帯が広がる。シーワ・オアシス、ファラフラ、ダフラなどのオアシスがあり、古来アフリカ内陸との隊商ルートが存在した。国土の約90%が砂漠地帯といわれるエジプト。生きもののイメージが薄い砂漠だが、実は多くの動植物が生息している。野うさぎやきつね、オオカミや一部地域ではカモシカもいる。ワシ、タカ、ふくろうなどの鳥類も豊富だ。せっかくエジプトに来たのであれば、広大なエジプトの砂漠を探検したい。

バハレイヤ・オアシス/Bahariya Oasis

◆バハレイヤ・オアシス/Bahariya Oasis
2,000平方kmの面積を持つハバレイヤ・オアシスは石英岩と苦灰石の黒い丘に囲まれています。オアシスではナツメヤシ、オリーブ、アプリコット、米、とうもろこしなどが栽培されています。バハレイヤ・オアシス最大の村バウーティには、グレコローマン時代のものを中心に美しいレリーフを持つ墳墓があり、ビル・マタール、ビル・ガバなどの鉱泉も有名です。バウーティの村には、館内に温泉設備を取り入れたホテルもあり、旅の疲れを癒してくれます。

白砂漠/White Desert

◆白砂漠/White Desert
白砂漠は太古の昔、海の底だった。砂の白は石灰岩と塩分の色。今でも貝殻の化石を見つける事ができる。場所によっては、フラワーストーンと呼ばれる花や貝の化石だらけの一帯もある。
また、白砂漠といえば奇岩。巨大な石灰岩が風によって浸食された奇岩が数多く点在している。
夕焼け時は白い奇岩群がオレンジ色に染まり、とても幻想的。
世界で一番雨の降らない場所と言われるこの地域は、時には20年以上雨が降らないこともあるが、荒れ果てて見える大地には実は野生動物も多く生息し、砂漠を歩くと小動物の足跡を至る所で見かける。砂漠でキャンピングをすると、フェネック(砂漠のきつね)が餌を求めて近づいてくる。

黒砂漠/Black Desert

◆黒砂漠/Black Desert
バハレイヤ・オアシスから白砂漠に向う途中にある。黒砂漠は大昔ここら辺一体が火山地帯だった為に黒い。黒い小山(死火山)がいくつもある様子が面白い。高い場所から回りを見渡した方が黒砂漠の景色が楽しめるので、時間に余裕が有る場合は小さな山に登ってみてください。地平線まで続く黒い景色を眺めていると、他の惑星に降り立った気分が味わえます。小砂利だらけの山は傾斜が急で滑るのでご注意を。

クリスタルマウンテン/Cristal Mountain

◆クリスタルマウンテン/Cristal Mountain
山全体が天然の水晶でできていることから、クリスタルマウンテンと呼ばれています。周囲にもクリスタルのかけらがたくさん落ちていて、陽光を浴びてきらきら光る様はとてもきれいです。しかし昔から工芸用に採掘されたり、近年では観光客がお土産としてかけらを持ち帰ってしまう為、山の大きさはどんどん小さくなっているそうです。

アレキサンドリア/Alexandria

アレキサンドリアは人口300万人を越えるエジプト第2の都市。明るい陽光が降りそそぐ穏やかな気候の典型的な地中海都市。現在はリゾート地として多くの観光客を魅了しています。紀元前4世紀、アレキサンダー大王が征服したばかりの王国の新首都建設を命じたとき、ここはラコティスという小さな漁村だった。アレキサンダー大王は首都の完成を見ることなく亡くなったが、政権を引き継いだプトレマイオス1世からクレオパトラ7世までその栄華は続いた。アレキサンドリアは絶世の美女と謳われたクレオパトラが生きた町です。

カーイトゥベーイの要塞/Qal'it Qaytbay

◆カーイトゥベーイの要塞/Qal’it Qaytbay
要塞は、もともと古代世界の7不思議のひとつといわれたファロスの灯台の跡に、15世紀マムルーク朝スルタン・アシュラフ・カーイトゥベーイにより建てられた、3層構造の堅固な要塞。内部は海軍博物館になっている。ファロスの灯台はアレキサンダー大王の案に基づくといわれ、プトレマイオス2世により紀元前3世紀に建立。高さはなんと120mで、56km先からも光が見えたというが、14世紀の大地震で崩壊した。

ポンペイの柱/Pompey's Pillar

◆ポンペイの柱/Pompey’s Pillar
ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てた、世界最大といわれたアレキサンドリア図書館の柱の一本とされるポンペイの柱は、高さ約27m、アスワンの赤色花崗岩でできている。かつてはこの柱が400本はあっただろうといわれている。歴史の不思議さと、実在した当時に思いをはせてみよう。

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